04
いつのことだったか、誰かが話していたことばを思い出す。「女は守るべきものではあるが、守られるべきものだとは思わない方がいい」。いったいどこで聞いたのかすら思い出せない、若い吟遊詩人が言い出しそうな薄っぺらの台詞だった。だがどうしてそれをいま思い出したのか、その点についてだけははっきりとスタンレーにも答えることができる。
「アルノ、落ち着きなさい」
「私はとっても落ち着いています、モーゼズさま。その上で、スタンは怪しいひとじゃないって言ってるんです!」
先ほどまでスタンレーと不毛とも見えるやりとりをしていた男が、少女を相手にすっかり困ってしまっている。……ああなると、女ってやつは面倒なんだ。むっすりと目上の男を睨みあげるアルノとその彼を交互に見やって、ご愁傷様、とスタンレーは小さくつぶやいた。が、せっかくの味方を止める理由はどこにもない。頬杖をついたまま、ただふたりのやりとりを傍観するにとどめている。いつの間にかとなりにいた若い修道士も、同じく困り顔だ。
「こんな感じか? いっつも」
「いや、その。そんな訳では……」
……あるのだろう。小さくなる語尾と目の前の光景を見ればたやすく察することができた。スタンレーも頬を引きつらせてしまう。矛先が自分じゃなくて本当によかった。
「じゃあなんですか、モーゼズさまは私の友人のことを極悪非道の輩だというんですか!」
「そんなことは誰も言っていないだろう」
「いいえ! そう言ってるも同然です!」
一体どんな流れでそういう話になったのか。少し気を逸らしただけでずいぶんと話が飛んでいる。笑えばいいのか呆れたらいいのか、スタンレーには判断がつかなかった。それにいつのまに彼女と友人になったのだろう。
「……友人」
「道でぶつかって、拾いモンを届けるだけで友人になれるんなら、そうなんだろうよ」
視線も合わせないまま、なげやりにことばを交わしあう。今この場だけだったら仲良くできそうな気すらしてきた。おそらく同じ気分を味わっていることだろう。
しかしスタンレーとしては、さっさと話を済ませてさっさとこの辛気臭い場所からサヨナラしたい。おいてけぼりにもいい加減飽きてきたところだ。
「それくらいにしとけ、アルノ」
「え、でも」
「少し話を聞かれるだけだろ。じゃないと出してもらえねえんだよ。形式が大事らしいからな?」
スタンレーがひらひらと手を振ってみせると、きまり悪そうに男はひとつ咳をした。
「シェルナの人間が?」
「手に趣味の悪い刺青を入れてたから、多分な」
モーゼズ・ヒルシュと名乗った男はその話を聞くと、ひげに指をあて考え込んでしまった。アルノは若い修道士と出て行ったから、いま部屋にはスタンレーとモーゼズのふたりしかいない。
「いかにも怪しかったからな。良心にのっとって追い払っただけだぞ俺は」
保身のために多少虚実を織り交ぜはしたが、おおよそ本当のことは言っている。
「それならば、すぐに立ち去ればよかったろうに」
「少しばかり、そちらさんに言っておいたよさそうなことがあったからな。……間延びした話し方する、赤毛の子がいるだろ」
「……ああ、それがどうした」
「アルノと、その子を昼間につけていた」
そこで一旦会話が途切れた。どこからか誰かの歌う声が聞こえてくる。平和な場所だ、話の内容が似合わないくらいに。
「教会に用があるんだか、ふたりのどっちかに恋わずらいでもしてるんだか知らないけどな。気をつけた方がいいんじゃないかと思ってね」
ちょっとした忠告だよとつけたしてやると、しばし沈黙していたモーゼズが、長息ののちにしみじみと付け足した。
「……なんといえばいいのか。お人よしだな、君は」
「は?」
声を上げたスタンレーに、「いや、気にするな」と言って男は含み笑う。気分が悪い。思いっきり顔をしかめてみせても、目を細めたまま「悪かった」と悪びれることなく言うばかりだ。
「話は分かった。荷物をとってこさせよう」
「……そらどーも」
立ち上がったモーゼズは、だらしなく腰掛けたままのスタンレーを置いて去っていった。とん、とんと人差し指でテーブルをたたきながら、彼はぼそりとつぶやいた。
「煙草が吸いてえ」
昨日の夜から、吸っていない。
「スタン!」
部屋を出るやいなや、うるさい少女が金色のしっぽを揺らして駆け寄ってくる。
「話は終わった?」
「おー、終わった終わった」
「ほんと? よかった!」
くしゃりと笑う少女は無邪気そのものだ。……こういうのをお人よしというんだ、とスタンレーは思う。二日前に出会ったばかりの相手のことで、よくまあここまで喜べるものだと、いっそ感心すらするくらいだ。
「じゃあもう出てもいいんだよね?」
「らしいな」
「やった!」
「……ああ?」
ホルダーに銃をさしおえた彼の手を、アルノがぎゅっとつかんだ。
「実はお休みもらってきちゃった」
「で?」
「町を案内したげる! お礼とお詫び!」
別にいらない、ぐいぐいと引っ張る彼女にそう言ったところで聞きやしないだろう。無駄な労力を費やすだけだと、先刻のやりとりを見て彼は十分に理解していた。
「分かったから、ひっぱるな!」
礼拝に来たらしい他の者たちがちらちらとこちらを見ていた。壁に反響してふたりの声はなかなかの音量になっている。溜息をついてスタンレーは声をひそめた。
「……ひとまず、なんか食わせろ。何も食べてねえんだよ」
「うん!」
アルノはといえばまったく視線などに気づくことなく――いや、気にしていないのか。相変わらず元気のいい返事をしてくれる。
「じゃあ、さっさと行こう、スタン!」
前に出たアルノが振り返る。
『オラ、さっさと行くぞチビ!』
昔に聞いていた声を思い出す。女ってのは、みんなこうなんだろうか。
「……走るとコケるぞ、また」
あの時は、どんなことばを返したんだったか。