01
叫び声と共に、イモが降ってきた。
なにごとかと思う間もなく、イモ以上のものがスタンレーに向かって突っ込んできた。受け止めようにもあまりに突然だったから、そのまま一緒に倒れこんでしまった。金髪の少女が、彼のうえで呻いている。
「……大丈夫かよ、嬢ちゃん」
「あっ…わああ! ごめんなさいオジサン! どっか痛いとことか…!」
訊いているのはこっちなのに、聞いちゃいない。しかもオジサン。スタンレーの眉間に皺が寄ったが、少女は慌てるばかりで気づく様子もない。
「ひとまず、上から降りてくれねえかな」
「あ、あああハイっ! ごめんなさい!」
ばっと離れた彼女は、そのままあたふたと散らばったイモやらニンジンやらを拾いはじめた。見れば周囲の人間たちの、視線がイタイ。チクショウ笑ってんじゃねえよ、と毒づくこともできないままスタンレーは舌打ちをひとつ打って立ち上がった。
彼を巻き込んで盛大にずっこけた少女はといえば、石畳のうえで割れた卵に青ざめたり、砂のついた野菜の砂を払ったりと忙しない。おそらく買い物の帰りだったのだろう。数人の大人たちがクスクスと笑いながら彼女を手伝っていた。
ふと足元を見れば、先ほど降ってきたイモがひとつ、転がっている。仕方なしにそれを拾い上げて、声をかける。
「ほら」
「あっ、ありがとうございます!」
軽く皺のついた麻袋に戻しながら、早口に礼を言った少女はふたたび駆け出した。おいおい、またこけても知らねえぞ。ぐんぐんと離れていく少女にそう言ってやることは適わなかったが、ひとまず人ごみのなかに消えてしまうまでは、だれともぶつからなかった様子だった。
ひと息ついてシガレットケースを取り出したスタンレーは、視線をおろした拍子になにかきらりと光るものを見つけた。なにとなしに、それを摘み上げる。
「……香水入れ、か?」
細い鎖に繋がったトップの銀細工が揺れると、ほのかに甘い香りが広がる。女たちが好んで使う、気付け薬入れ(ヴィネグレット)を真似たものだ。
こんなところに転がっている理由など、ひとつしかない。
「さっきのガキ、か」
無性に煙草が吸いたくなった。
「アンタ、旅の人かい?」
スタンレーは、煙草の灰を落としながら首肯した。
長いブロンドを結い上げた、十五くらいの少女を知らないか。目はたしか緑色の。そう訊ねたスタンレーのことばに、酒場でたまたま隣に座っただけの男は笑いながらそう問い返してきた。「そんなに分かりやすいモンか」
「そりゃねえアンタ、この街であの子を知らない奴なんて、めったに居ねえからなあ」
それにアンタみたいな目立つ奴、見たことあったら忘れねえよ。そう付け足して酒を煽る男は実に楽しそうだった。酔った相手から話を聞きだすのはかんたんだが、面倒くさい。
「目立つ格好はしてねえつもりなんだがな」
「オイオイ。自分の腕と、顔を見て言えよアンタ」
「そんなに男前か? 旦那には負けるさ」
に、と笑って冗談で返せば、男は上機嫌で背中をたたいてくる。思わず煙を変に吸い込みそうになって、スタンレーはごほっとひとつ咳をこぼした。
――自分が目立たないだなどと、スタンレーはこれっぽっちも思っちゃいない。
余所者である、それだけで十分に人の目にはとまりやすいのだ。それにくわえてスタンレーは両腕に金銀の飾りを幾重にも巻きつけているし、傷がもとで開かなくなった左目を長く伸ばした前髪で隠している。旅商人の行き交うような大きな街でもない限り、どこに行っても否応なしに周りの視線にさらされる。
気にするだけ無駄なのだ。
「けどなんでまた、アルノちゃんのことを?」
「昼間にちょっとぶつかってな。そんときに拾いモンしちまってよ」
「またずっこけたのか。あの子らしいっちゃあらしいけど」
アルノという名の少女は、どうやらいつもあの調子らしい。昼間の様子を思い出しながらスタンレーも苦笑をこぼす。毎日毎日あの調子で街を歩いているなら、なるほど有名にちがいない。
「そろそろハルシオンの祭りもあるから、霊堂も忙しいんだろうね」
老眼鏡をかけた店の主人がそう一言添えてスタンレーの酒を出す。
「霊堂? ……教会の人間なのか」
「そうさ。五年くらい前に教会の人間に引き取られてよ。それからずっと霊堂のなかで暮らしてんだ。多分来年の今頃には、浸礼を受けてるんだろうなぁ」
「へえ。教会の人間ってのはもっとお上品なもんだと思ってたが、こりゃ考えを改めねえとな」
ちがいねえ、という笑い声を聞きながら、スタンレーはウイスキーの入ったグラスを片手に紫煙を吐き出す。霊堂で暮らす、アルノという名前の少女。来年に浸礼の儀を受けるというなら、歳はちょうど今年で十五になるのだろう。ひとまず必要なことはしっかり覚えたから、あとは適当に飲んで帰ればいい。
始終愉快でたまらないといったふうの男に相槌を打ちながら、スタンレーは酒を二杯、それにつまみをいくらか齧って店を出た。店の傍こそ騒がしいが、すこし歩けば夜相応の静かさが辺りを包む。どこかで鳴く野良犬の声も遠い。
宿にもどって、踏むたびにギシリと軋む階段をのぼって宛がわれた部屋に向かう。戸棚のようなテーブルと寝台がひとつあるだけの質素な部屋だが、特に困ることもない。寝台のしたに押し込んでおいた荷物を確かめてから、スタンレーはシーツのうえに転がった。
「……霊堂、な」
取り出した香水入れを眺めながら、ひとつため息をこぼす。教会は苦手なのだが、仕方ない。
今日はさっさと寝てしまおう。靴を脱ぎ捨てて、男はそのまま眠りについた。
月明かりが窓から差し込む、明るい夜だった。